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加須市の紹介
加須市 羽生市 行田市

♦  支部長あいさつ  ♦

加須支部
支部長 新井 裕之

  こんにちは、加須支部支部長の新井裕之です。
  加須市では平成26年3月に「加須市歯と口の健康づくり条例」を制定し、市民の皆様と共に、ライフステージに合った歯と口の健康づくりに取り組むことで、体全身の健康の保持・増進を図り、「埼玉県一の健康寿命のまち」の実現を目指しています。
  新規事業として、20歳以上の全市民を対象とした個別成人歯科検診(口腔内診査、歯周ポケット測定、指導)を行っていますので、ぜひ受診されることをお勧めします。 加須市歯科医師会は以下の事業を通して、皆様の歯と口の健康づくりのお手伝いをしていきます。

ライフステージ別の歯科保健事業

    ○出産前期(妊婦・胎児)
        ・  プレママデンタルクラス
                (歯科保健講話・歯科検診・歯科保健指導)
    ○乳幼児期(0〜6歳)
        ・  乳幼児健康相談(歯科相談)
        ・  1歳6か月児、2歳児、3歳児歯科健診
        ・  歯LOW教室(親と子のむし歯予防教室)
        ・  フッ素塗布
        ・  親と子のよい歯のコンクール
        ・  幼稚園、保育園等歯科保健指導

    ○学齢期(7〜18歳)
        ・  就学時歯科健診
        ・  学校定期歯科健診
        ・  フッ素塗布
        ・  小中学校歯科保健指導

    ○成人期(19〜64歳)
        ・  成人歯科検診(個別歯科検診、歯周病検診)
        ・  歯科健康教育
        ・  歯科相談、歯科保健指導

    ○高齢期(65歳以上)
        ・  成人歯科検診(個別歯科検診、歯周病検診)
        ・  歯科健康教育
        ・  歯科相談、歯科保健指導
        ・  8020お達者歯科健診

ゴールデンウィーク、シルバーウィーク、年末年始には休日歯科診療を行っています。
(これらの事業は市報等でお知らせしております)



♦  関東平野の中央に位置する歴史と観光の町  ♦

  加須市周辺は利根川の豊かな水と関東平野の肥沃な大地に恵まれ、人々が生活するのに最適な地域です。 有史以前から古代人が生活していたことが判っており、花崎駅付近からは縄文時代の遺跡が発掘されています。

地名は古い文献では「加増」と表記されていましたが、元禄時代頃から現在の「加須」となったといいます。 江戸時代から利根川を利用した水運の町であり、同時に中山道と日光街道を結ぶ宿場町でもありました。 また信仰を集めた不動ケ岡不動尊の門前町として栄えました。 現在では全国シェア60%を占める地場産業に育った 「鯉のぼり」で全国的に有名です。また剣道具や硬式野球のボールの生産地として独特の産業を形成しています。 食べ物では本格的な手打ちうどんの町として知られています。


♦  郷土が生んだ人  洋画家 斉藤与里  ♦

斉藤与里   洋画家として活躍した斉藤与里は1885(明治18)年9月、北埼玉郡樋遣川村(現在の加須市)に生まれました。 少年時代から画家を志し、 京都にて鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう)と、浅井忠(あさい・ただし)に師事。 同門に安井曾太郎、梅原龍三郎らがおり、 互いに切磋琢磨した様子が伝えられています。
  明治39年にはヨーロッパに渡り画業に打ち込みました。フランスのアカデミージュリアンでの勉強、 ヨーロッパ各地の滞在は 3年余に及びました。当時全盛であったゴーギヤンやゴッホに影響を受けながらも、日本的な情緒を失わず、 独特の画風を確立してゆきます。 帰国後は岸田劉生らとともにフューザン会を設立して新しい美術運動を起こしました。
  大正9年、 10年には文展に「朝」「収穫」を連続して発表。 特選の栄誉を受けます。 しかし翌年の「秋」という作品では一部審査員の誤解から落選を経験、ヨーロッパの新しい感覚と変化に富んだ牧歌的詩情に 審査員がついていけなかったためとも言われています。
  昭和2年第8回帝展では「水郷の朝」で特選を受け、以後は数々の名作を生み出しました。 また大阪美術学校教授として後進の指導にも熱心に取り組みました。門弟の中には異色の名優、 花澤徳衛さんも学んでいました。
  戦後は昭和21年の日展に「晩秋の赤城山」を出品、 28年には「裏磐梯」を発表、 いずれも感動を呼びました。昭和34年5月3日に東京都豊島区高松町のアトリエで逝去。 その絶筆は「夕焼の天草」でした。 加須市議会は名誉市民第1号として斉藤与里の画業を高く評価し、後世に広く伝えています。




♦  郷土の風物詩  ♦


  ・特産品こいのぼり

こいのぼり   明治時代には青縞の主産地として繁栄した加須。地域には被服・縫製の技術が蓄積されており、現在は地場産業であるこいのぼりにその伝統が生かされています。
  加須で制作されるこいのぼりは全国シェアの60%を占めており、地域の有力な産業となっています。毎年春に行われる市民平和祭や8月15日に行われる納涼花火大会。 毎年5月3日には、利根川河川敷に長さ111m・重さ730kgという世界最大のこいのぼりが掲揚され、 加須の名物として定着しています。


  ・総願寺

総願寺   関東三大不動のひとつである不動ケ岡不動尊を祀る総願寺は、1616年に建立された由緒ある寺で古くから関東一円の信仰を集めていました。 現在も多くの行事があり人々が盛んに訪れますが、最も有名なのは毎年2月3日に行われる節分会です。鬼追い豆撒き式といって大松明(おおたいまつ)・こん棒・剣を持った3匹の鬼が回廊を駆け回って厄を払う勇壮な姿には参拝した人々の印象に強く刻まれます。


  ・手打ちうどん

  加須は不動尊の門前町として栄えたため、古くから多くの店が繁盛していました。加須周辺では稲の裏作として小麦が栽培されていたこともあり、手打ちうどんも盛ん。うどんの老舗も多く、現在では約30軒の店からなる手打ちうどん会が活発に活動。 うどんスタンプラリーやうどん教室など新しい催しを企画して、郷土の誇るうどん文化を育てています。加須市がうどんのまちとして広く親しまれているのも、こうした伝統と創意工夫によるものでしょう。


  ・硬式野球ボールの生産

硬式野球ボールの生産   加須で作られる硬式野球ボールは、 プロ野球や甲子園大会で公式球として採用されています。 サイズ・重さに厳しい規格基準があり、 また皮縫いでは縫い始めと縫い終わりが分からないようにするなど硬式ボール作りには高度な技術が要求されます。 そのため今でも熟練した職人が一針一針手縫いで仕上げていますが、 年間3万ダースという関東一の生産量を誇ります。


  ・柔道着の生産

  柔道の国際化に伴い、加須産の柔道着は東南アジアをはじめヨーロッパ諸国などに輸出されるようになりました。かつて1964年に開催された東京オリンピックの柔道金メダリスト、オランダのヘーシンクが着ていた柔道着も加須産のものでした。


  ・利根川河川敷のお花畑

硬式野球ボールの生産   春は菜の花、 秋はコスモスが一面に咲き乱れる美しい風景が利根川河川敷に展開します。 季節になると散策やサイクリングに遠方からも多くの人々が訪れます。


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